2010年12月24日金曜日

sylph流思い出論

バイトを終えて帰宅。
案の定俺の車は雪像と化してたよ。

とりあえず、家で暖まりながらゆっくり。
この時期、車持ちの身には出動要請がかかる事がたま~にあるんだけど、今日はもう大丈夫かな。


さてさて、予告通り‘思い出’というものについてお話していきましょうかね。
とっても長くなるんで覚悟して下さい。

‘思い出’っていうと、どういうイメージがあるでしょうか。
やっぱり、思い出話をすると盛り上がる事からも、楽しいものですよね!
でもそれだけじゃなく、どこか哀愁が漂うような気もします。もの寂しさを感じたり、感傷に浸ったりする事もあるでしょう。

では、‘思い出’ってどういうものなんでしょうか?
辞書的な解釈をした場合のポイントは
①過去の出来事で特に印象に残っているもの
②また、その中でも後々思い出して楽しいもの

つまり、強く印象に残っている楽しかった過去の出来事が‘思い出’という事になるようですね。

加えて、過去の出来事が単なる‘過去に起こった事象’ではなく、良き‘思い出’となるためには、もう一つ条件があると僕は考えています。
いや、これは‘思い出になる条件’というより、‘思い出’がより‘思い出らしくなるための条件’といったほうが適切かもしれません。

それは果たしてどういう条件なのか。なぜそう言えるのか?具体的な例をあげてお話していきます。

先日就活のため実家に帰った時のことです、昼過ぎに実家に着き、天気も良かったので散歩に行く事にしました。
散歩のコースはよく友人と釣りをしていた川。ちなみに、夏になると毎日のように泳ぎに行ってた川でもあります。
そんな懐かしい場所を歩きながら、友達と竿を持って川をめぐってたあの頃を思い出していました。
「あぁ、そういや、中2の時、ここのポイントであいつがでっかいニジマス釣ったんだったよなぁ」
とか、
「そうそう、いっつもこの岩の上からルアーを投げてたなぁ」
とか、いろんな事を思い出し、どれもいい思い出だなぁって思ったわけなんですが、ここでちょっと疑問に思った事があったんです。

「でっかいニジマスを釣ったのって、あの当時でも‘いい思い出’になっててよかったよな。なんで今になって?」

確かに、当時でもあれは衝撃的な出来事だったはずです。
僕らは毎日のように釣りをしてて、地元でも結構有名な3人組だったわけなんですが、それでも、なかなかあんなでっかい魚を釣り上げるなんて事はありませんでした。
釣り師にとって大物を釣り上げる事が楽しくないわけがありません!飛び上がって喜んだのを覚えています!
もちろん、翌年には
「去年ここでお前があのでっかいの釣ったんだよな」
なんて思い出話もしましたよ。でも、今ほど‘いい思い出’って感覚はなかったと思います。

それはなぜかを考えた結果僕がいきついたのが、先ほど言ったある条件なのです。
その条件とは、
‘過去の出来事を構成していたものを、現時点で失ってしまっているか、もしくは再現する事が非常に困難、あるいはほぼ不可能な状況に置かれている事’
なんです。

先の例で言いますと、今、当時一緒に釣りをしていた仲間は僕と一緒にいません。川の風景も一部変わってしまいました。そして何より、僕らみな今は地元を離れていて、その川で釣りをしていません。‘いつもの川でいつものメンバーと一緒に釣りをする’という時間を、僕らは失ってしまっています。

当時は毎年のように、いや、毎日のように釣りをしていました。
だから、確かに大物出会うという体験を毎回繰り返す事は困難でも、仲間と釣りをするという事はずっと続けて行われていたわけですし、続けていればまたいつか大物に出会うと言う事もあったでしょう。そもそも、大物にこだわらなければ僕らは相当な数の魚を釣っています。

つまり、当時の僕らにとって大物を釣り上げたあの日というのは、普段釣っている魚よりも大きかっただけという点と、繰り返し釣りをしていればそのうち出会う可能性のあるものだったという点で、繰り返される日常に延長に過ぎなかった、ま、たまにはこんな事もあるよ程度のものだったと言えるでしょう。

例えば、バスケの試合で強豪校に勝ったとか、初めてシュートを決めたとか、そういうのが思い出だという方がいたとしましょう。
しかし、相手が強豪校だろうと弱小校であろうと、勝利は勝利であって、確かに前者の方が喜びは大きいですが、同じ勝利の延長であると言えます。
また、初めて決めたシュートいうのも、試合に出てシュートを打ち続ければいつかは実現していたものですし、その後何度もシュートを打ち続ければ、同じようにシュートを決める事はできたでしょう。
だから、バスケを続けている以上、それらは自分にとって繰り返される日常の一部から切り取る事ができないわけなんです。

しかし、いざバスケ部を引退し、バスケの世界から身を引いたとしましょう。
もはや、‘試合に勝つ’という事も、‘シュートを決める’という事も体験できなくなりました。
こうなって初めて、つまり、失う事によって初めて、それを‘過去に起こった事象’の中でも特別なモノとして切り取り、‘思い出’という札を付け、さらにそれを必死になって思い出し、自己の内部にこみ上げる様々な想いで磨きをかける事によって‘いい思い出’へと昇格させるわけなんです。

何でもそうです。
繰り返し繰り返し行っていると、ちょっと特別な事があっても、
「ま、ずっとやってりゃたまにはこんな事もあるよ。」
程度にしか思えなくなってしまいます。
極端な話、とある事柄を繰り返し行っているうちは‘いい思い出’は生まれてきません。慣れてしまってはだめなんです。

さて、こう考えると‘思い出’っていうのは失ったものばっかりで、なんだか悲しくなりませんか?
‘思い出’はいいものだっていうけど、一体何がいいのかわかんなくなってきたって人はいませんか?

最後に、‘思い出’が持つもう一つの特徴をお教えしましょう。
いや、これは言わなくてもわかると思いますが、‘思い出’は、自分にとって特別なモノです!
だって、自分を成長させてくれたり、自分を変えてくれたり、自分に大きな喜びを与えてくれたモノなんですから!
それに、今では失ってしまっているモノ、二度と体験できないようなモノだからこそ、その時自分にとって何か必ず得るものがあったはずです。
‘思い出’となった事象っていうのは、繰り返し起こるものではなく、ある時、ある場所だけで起こった出来事なんですから、きっと起こるべくして起こったんでしょうね。何かきっと、意味があったんでしょうね!
その意味を知り、そこから何を得たのかがはっきりわかった時、その出来事は‘一生の思い出’として、生涯忘れる事のない大事な大事な宝物となるでしょう!

これから先、僕は一体いくつ‘思い出’を作る事が出来るでしょうか?
同じ事を繰り返しこなしていくだけの生活は、したくありません。だって、それだけで終わってしまったら、僕は、‘単なる過去の事象の塊’としてこの世を去っていくことになってしまいますからね。
高校時代、部活を引退する時に僕は後輩に向けてこんな事を言いました。
「‘記録’じゃなくて、‘記憶’に残るような事をして欲しい!」

繰り返し行っていればいずれ記録は残せるかもしれません。
でも、その後記憶に残るのはどんな事でしょうか?
もしかしたら、たいして記憶に残らなかったなんて事にもなりかねません。

さて、もうすぐ2010年も終わります。
一年があっという間に終わったような気がします。
このままでは、卒業までもあっという間なんですかね。

研究室の仲間と過ごす日々も、もうあと少しで失われてしまうんですね。だからこそ、失った後の事を考えて、今だからこそできる事をしておきたいと思います。
そう、いつの日か、数えきれないくらいの時を経て僕らが歳をとった時、‘いい思い出’だったと言えるように、僕らにとって大事な宝物になるように、そう願いを込めて、失う時を覚悟しながら、残りの時を過ごすとしましょう。

なんか、得るために失うなんて、おかしな話にも聞こえますけどね(笑)

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