卒論で人と人とのやり取りなどについて調べていると、所々で遭遇するこの言葉。
身近にも人見知りと称する人は多い。
だが、‘人見知り’、英語で言うところの‘shyness’という言葉は、本来なら子供が見知らぬ人に対し、恥ずかしがったり嫌ったりすることを意味する。
広辞苑にも、子供が見慣れぬ人を見て泣き、はにかみ、または嫌うことと表記されている。
大人の場合、内気や照れ屋という語を当てるのが適切なはずなのだが、最近では大人にも人見知りという言葉を当てることが多い。
なぜ大人にも人見知りという語が適用されるようになったのだろうか?
単純に、人見知りという語の指し示す範囲が広まったという見方がまずできる。
人見知りっていうか、単に口下手なだけだろってやつとか、そういう人も含まれるようになったんじゃないかっていう話。
もう一つは、大人の幼児化である。
ある程度の年齢になれば、相手が自身にとって恐怖に値する存在なのかどうかくらいは判断できるようになると思うし、もし仮にそうであったとしても、逃げるのではなくどう対応すればいいのかが、経験則から大体わかるはずなのである。
しかしだ、近隣の人とのかかわり合いが薄れ、仕事上の付き合いなど、様々な制約のもとにおいて繰り広げられるレベルでのやりとりばかりとなってしまったため、そもそも対人処理能力が低下してしまったのではないかという疑いの声も上がっているわけである。
また、web上のやりとりなら、直接顔を見て話しているわけではないし、相手が同じ場にいるわけではないので、都合が悪くなれば逃げることも簡単である。
以上に挙げてきたような理由で、いい歳して人とちゃんとしゃべれないとか言うやつが増えるのではないだろうかとのこと。
まぁ、もちろん、他者に対して警戒心が働くといのは、人間に限らず動物全般に備わった本能でもあるから、一概に警戒心を持つことを批判は出来ない。
人見知りの人は、その人がとにかく自分にとって脅威に思えてしまうんだとか。どこで怒られるかわかんないし、下手なことして嫌われたらどうしようみたいな。
でも、どう考えても全然しゃべらない人よりも、多少なりとも口聞いてくれる人の方が興味は持てるし、たとえ口下手でも、誠意をもって伝えようとすればそれで怒られることはまずないと俺は思う。
発言の内容的に距離を取られることはあるだろうけど、それは誰にでも言えることだからそんなに気にする必要はないと思う。
気が合う奴とは合うし、合わない奴とは合わない。それでも事足りるならそれでもいいし、どうしても気の合わない奴ともやりとりをしなければならないというのなら、それなりの対処法をとればいいだけの話。
まぁ、それはそれで難しいかもしれないけどね。
まぁ、周りの人は周りの人で、人見知られないようなオーラを出しといてあげなきゃいけないのかもなんて思ってみたり。
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